広島訪問1日目

4月29日より2泊3日で広島を訪問しました。その記録です。

午前7時40分名古屋発の新幹線のぞみ号は満席だった。僕も念のために1週間前に指定席をとったが、すでに3人掛け席の中央となってしまった。広島まで2時間半ほど。思ったよりも近くてすぐに着く感じだ。車中ではwebで探した資料をプリントアウトしてきたものを読んで予習をする。

10時に広島駅着。暑い!陽射しが眩しい。観光案内所で市内地図と市電路線図を手に入れて、市電に乗って中心街の紙屋町まで行く。知識としては知っていたが、広島は水の都であり、多くの河川に多くの橋がかかって街が構成されている。市電から外を眺めてそれを実感する。

今日はデーゲームでプロ野球の広島*阪神戦が行われることもあって、そこら中に阪神ファンがウジャウジャいる。ものすごく多くいる。広島市民球場周辺にはプレイボール2時間ほど前だというのにすでに多数のファンが来ていた。球場入り口で選手の入りを待ちかまえる人垣が出来ている。

 

敷地内にリーグ優勝等の石碑を発見する。敬意を表して写真に収める。

さて、道路を一つ隔てた場所にある原爆ドームへ。周囲には柵が巡らされていてすっかり観光施設です。この辺りは外国人の観光客の方が多いです。ここで感心したのは、川辺との調和がとれた景観となっていることです。平和公園全体としても親水護岸としての景観が素晴らしい。

 

続いて橋を渡ったところにあるレストハウス(これも被爆建物です)を写真に収めて、左側に目を向けると平和記念資料館が見えてくる。

こちらで予習をしてきたのですが、この景観軸を中心に観察する。平和記念資料館の建築としてとても優れているのが実感としてよくわかるし、とてもモダンな(つまりは無国籍な)この建物とこの公園が実に落ち着いて街に根付き佇んでいるような気がした。展示室内はものすごい人混みで展示物はかなりとばして見た。集中して解説を読んだのは、戦前までの軍都としての広島がどのように形勢されてきたかの部分と、最後にあったここを訪れた世界中のVIP達の署名のところでした。

 
 

続いて平和大橋を渡っていくのですが、この欄干デザインをイサム・ノグチが手掛けたそうです。とはいえ橋の本体は普通の鋼橋ですが。

街の中心街の方へ歩いていって日銀旧広島支店。ここは楽しみにしていたのですが面白かったです。現在は日銀から市が引き継いだのですが、用途が決まっていなくて簡単な催しがあるだけのようです。吹き抜けの営業フロアもいいし、地下の金庫エリアも見学できる。分厚い金庫扉も設置当時のものだ。

 
 

次に本通り商店街を歩き広島アンデルセン本店へ。ここは元銀行建築であったものをリノベーションをしたもので現在は高級ベーカリーショップとなっている。外観は保存して活用しているが、内部からは改装した様子はあまりうかがい知れない。せっかくなので昼食用にとパンをいくつか買う。

本通り商店街は歩くのには程良いスケールの商店街であった。広島カープ応援の垂れ幕が。

途中で普通の公園のベンチで先ほどのパンを食べて、その後、幟街まで歩く。途中でレコード屋を見かけたので入ってみた。ここです。音楽雑誌に広告があるのをみたことがあったなと思い出した。50年代から70年代のもの中心とのことで現在の興味とあまり関わりがないのと、旅先でもあり荷物が増えても困るので一通り見回しただけでお店から出ました。

世界平和記念聖堂を見学する。カトリック教会ですが、たいそう名前通りに一般にも広く開放されていて内部見学は可とありました。今日は日曜日でもあり、講堂内部ではコーラスの練習をしているようなので、外観を見るだけに留めました。確かにこれは傑作と思う。

ここまで来るともう広島駅まで近いので後は歩いて広島駅まで戻り、初日の広島での予定は終了。たくさん歩いたな。



広島から新幹線で新岩国へ移動する。4両編成のこだま号は何と4人掛けのグリーン車仕様で贅沢な気分に。でも18分ですぐに到着してしまいちょっと残念かも。M君登場。今回の訪問の大きな要因となったのは岩国在住の彼を訪ねるためであった。彼とは現在でも僕が勤める会社で同期入社だったのですが、4年経った時に退社して地元に戻って来ていたのです。お昼まではクラブチームでのサッカーの試合が終わってからクルマで駆けつけてくれました。ちょっと慌ただしいですが、これから錦帯橋周辺を見学に行きます。この日はちょうど1年に一度の錦帯橋祭りの日でものすごい人手であった。駐車場に入れてからは別行動として、僕は錦帯橋と周囲の公園を見て回ることにして、彼は父親が公園内で尺八の発表会があるのでそれを手伝いにいくとのことです。

錦帯橋は木造のアーチ橋でまあ立派なものですが、渡ってしまえばまあそれだけ。架橋工事中に見に来ればおもしろかったかも。一応下からも見てみました。隣接する吉香(きっこう)公園を散策する。岩国の郷土史資料館である微古館と吉川(きっかわ)資料館などなかなか良かったです。ロープウェーを使って山頂にある岩国城にはあがらず。

さてM君の親父さんも参加して尺八を披露する演奏会が吉川資料館内で行われていて、終盤から見させてもらいましたが、正直言って尺八の演奏ではどこが聞き所かよくわからず。でも庭園での演奏会はなかなかによい雰囲気がありました。

その演奏会が終わった後では、M君と二人で岩国観光ホテルに行き、お風呂に入ってからホテル内のレストランで食事をしました。ここら辺は地元の事情がよくわかっている人ならではのセッティングでなかなか良かったです。こちらからは彼が退職した後の会社の業績や人事の話をしてあの人はどうなったとかそんな話題を。こちらから訊いたのは、在日米軍再編に絡む岩国基地問題の地元での反応や、米軍基地と地元建設業者との関係などです。地元民ならではの率直な意見をたくさん聞けてとても有意義でした。岩国基地では5月5日に基地を公開しての航空ショーがあるとのことで「見に来る?」と言われたけど、さすがにそこまで滞在は出来ないな。食事終わってホテルの玄関まで来ると、彼がホテル従業員の男性と言葉を交わしている「彼は実家の近所に住んでいる小中学校時代の後輩」とのこと。続いてまたも声をかけられて「今の人はサッカー関係での知り合い」だとのこと。どこでもすぐに知り合いとあたってしまう人間関係の密度がとても濃そうだ。写真は夜の錦帯橋です。

食事終わってバスで市街地に戻り彼の実家におじゃまする。この日は泊めてもらうのです。M君本人はすでに結婚していて実家から徒歩圏内に部屋を借りているのですが、子供が生まれたばかりで奥さんが大変だろうとの配慮から客人の僕は実家の方にお世話になることになりました。休みの日でもあり、M君のご両親の他に、弟とその奥さんと、M君から見て叔母さん(父親の妹さん)と居てにぎやかです。普段の家族の会話に混ぜてもらった感じで、地元民ならではの濃い話が聞けました。

この家はサッカー一家で、M君本人は30過ぎてもクラブチームでプレーをしており、父親はそのクラブチームの役員か何かのようです。また弟くんは2級審判員として、JFLの試合でアシスタントレフリーを努めているそうでかなり本格的です。前日に磐田と広島の試合を見に行ってきたことを述べると「あー、寿人は点を取ったけど、負けてしまったけん」とすかさず叔母さんが答えてくれた。皆さん見方が完全に玄人です。こんなことになるだろうと予想して前日の磐田でのマッチデープログラムを持ってきており、お土産として置いて行きました。さらに、この叔母さんの娘さんが某新聞社でサンフレッチェ広島担当の記者をしているとのこと。僕もある程度サッカーの話が出来たのでよかったです。

こんな感じで密度濃い1日目が終わりました。